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■スリアインタビュー 『ヨガと私』
ヨガとのかかわり方にフォーカスしたインタビューの配信をスタートしました。
スリアが選んだ、『ヨガと私』ぜひご覧ください。
~ヨガは人生のでこぼこ道を平坦にしてくれるもの~
Vol.3 <前編> 石山多津子先生
「日常に海がある」という、生活を上手に楽しむ人が多く住まう茅ケ崎で、海ヨガにはじまり、静的・動的、様々なアプローチでヨガの指導をしている石山多津子先生。実は、2008年に『日本ヨーガ瞑想協会/綿本ヨーガスタジオ(主宰:綿本彰先生)』の指導者養成講座の同期で、ヨガマットを並べて共に学んだ仲間の一人です。トレードマークになっている日焼けした肌とチャーミングな笑顔は、はじめて見たときから印象的でした。
村上華子:お久しぶりです。指導者養成講座で一緒に学んできたので、共有させてもらっていることもたくさんあるけれど、改めて、多津子さんのヨガのある生活について質問させて下さい。早速ですが、ヨガをはじめたきっかけは?
石山多津子さん:きっとみなさん、体調や精神的な何かを整えたくてヨガを求めるのだと思うけれど、私の場合はとっても幸せなことに、ヨガからやって来てくれたの。1980年代、息子が通っていた幼稚園のお友達のママが「母が家でヨガ教室をやっているのだけど、多津子さんも一緒にやってみない?」と誘ってくれて。でも当時は、ジャズダンスやエアロビが流行っていて、私はレオタードを着てエアロビクスに通っていた一人だったの。そして、自分勝手なヨガのイメージで“自分には合わない”と決め込んでいて。でもある時、ご自宅に遊びに行くタイミングで、ヨガクラスを受けさせてもらうことに。その時、お部屋から出ていらしたお母さまが想像していたヨガのイメージとは違い、とても魅力的な女性でした。おそらく先生は、今の私の年齢と同じ位であろう60歳過ぎ。先生は驚くほど年齢を感じさせないしなやかさでポーズを取り、自然体で私を見守ってくれた。その環境も心地よくて、あぁ、この方から何か学びたいなと思い、「来週もまた来ます」と言ってから、毎週かかさず一年、五年、十年と続いたの。
華子:運命の出会いはどこに転がっているかわからないですね。それからしばらくして、日本にヨガブームが来たとか。
多津子さん:そうなの。ちょうどその頃、お友達のママが「多津子さんはヨガをしていたよね、教えてくれない?」って。とはいえ当時の私は、人前で話しをすることも、ましてや何かを教えるなんことも本当に苦手だったから、それもお断りしていました。ところがそのママが、生徒さんやレッスンをする場所まで用意してくれて。ありがたかった~。その温かい思いに感動してしまい、気持ちにこたえたくてヨガクラスをはじめさせてもらったことが、私のヨガの先生のはじまり。実際に先生になってみると、すごくうれしくて。私って「ヨガだけは伝えたい」って気持ちが溢れていることを知ってしまった(笑)
華子:なるほど。頭で考えずに「まずは、やってみる」ってアクションは本当に大切。
多津子さん:来てくださる生徒さんのために、自分はもっと学びを深めたいと思ってね。そこからが私の第二の「ヨガ人生」。実は、綿スタ(「綿本ヨーガスタジオ」の通称)との出合いもやってきてくれたの。ある時、息子の新しいパソコンの前に座り、触ったこともないキーボードに触れて「ヨガ」と入力したら、トップに“綿本彰と行く「心に効かせる」沖縄ヨガリトリート”という告知がポーンと出て。「心に効かせる」という言葉が、私の心に矢のように飛び込んできたの。その場で電話して、申し込みをしていました。いつにない行動力で。以前に書店で見ていた本の著者、綿本彰さんという有名な先生と沖縄の海でヨガができることも即決の理由でした。
華子:私も同じく。書店で彰先生の本を見つけたのが始まりでした。初めて綿スタに行った時、著者プロフィールの写真と実物の先生の印象が違うからびっくり(よい意味で)
多津子さん:そうそう。こういう方がヨガの先生なのね~って(笑)奇跡的にちょうどその日が沖縄リトリートの申し込みの初日。オープンしたばかりの時間だったので、本当は激戦のはずが、偶然にも申し込みできちゃったの。定員50名、その後あっという間に締め切りになっていた。
華子:すごい、引き寄せ。
多津子さん:だから、師匠となる彰先生にはじめて出会ったのは沖縄のビーチ。リトリートは現地集合、集合場所は指定されたホテルのビーチ。お見えになった彰先生はあの口調で「ヨガと聞かれたら、どのように答えられますか?」って、そこからはじまったの。三日間のリトリートはタイトル通り、全部ハートに届いちゃってもう辛いぐらい、「心に効かせる」内容。綿本彰先生を師として歩んでいきたいなと決心したリトリートでした。でももしかしたら、ヨガをはじめてすぐに彰先生に会って、哲学や瞑想についてのお話を聞いても、すんなり入っていかなかったかもしれない。私みたいなタイプは、先に体を使うスタイルのヨガをしていたのがよかったんだと思う。
華子:十分にアーサナの練習をしてきたからこそ、それによってどうして心身が整うのか、彰先生のお話しからメカニズムが理解できたんでしょうね。今までの体験の答え合わせになったというか。
多津子さん:そうなの!それで、うちの母が「最近すごく表情がいいけれど、何か変わったことあった?」って聞いてきたの。特別ないけれど、ヨガっていうのをはじめたよと言ったら「きっとそれよ」って。母には、私の一時的なものではない、醸し出しているものがすぐにわかったらしい。それ以来、どんな時も幸せを感じられて、先への不安を持ちづらくなった。子育てする時代にとてもありがたかった。沖縄リトリートが、2007年3月だったから、その翌年2008年から京橋の綿スタへ通うようになり、その年の秋に指導者養成講座があるという話を聞いて、参加したの。実は、あの頃はまだ指導者養成講座がどういうものかも知らず・・・これも必然でした。晴れて修了して、50歳を迎えました。
▲写真左)多津子さんと綿本彰先生、インドヨガリトリートでの一コマ。普段はお茶目な彰先生ですが、ヨガモードになると一瞬にして、クラスが静謐な空気になる。
写真右)多津子さんと私、村上華子。私たちのホームスタジオである綿スタにて撮影。指導者養成講座の卒業後、多津子さんは綿スタの本部講師としても活躍した。
華子:あれからもう13年!そういう時系列だったのですね。指導者養成講座で一人ずつ自己紹介をした時に、多津子さんが沖縄リトリートの話しをしていたのをよく覚えています。いいな~、そんな企画あったんだなんて、密かに。
多津子さん:師匠との出会いが沖縄のビーチなんてかっこいいでしょう~。(笑)でもあれは今でも“幻のリトリート”だったと言われる。先にも後にもなく、その一回きりだったのよ。
――インタビュー記事:後編に続く
◇石山多津子
Mala Tazuko Yoga 主宰。日本ヨーガ瞑想協会(綿本ヨーガスタジオ)本部講師。1980年代から古典的なハタヨガの道を学び始め、2007年に綿本彰氏に師事。瞑想をベースとするRaja Yoga・Power Yogaを習得。ヨガの目指す『瞑想』を哲学、精神、日常と様々な視点から理解し実践を深めることは、日々の幸せに繋がっていくことを実感。「日常にヨガの叡智が生かされる」ことを軸とし、ヨガからの恩恵や経験をメッセージとして伝える指導をする。
◇村上華子
2004年にヨガを始め、綿本彰氏にヨガを学ぶ。ヨガ仲間と共に『HAS YOGA銀座』を設立。
また、ヨガの指導のかたわら、中医学をベースにした薬膳フードデザイナーの資格を取得し、ヨガと薬膳のコミュニティー『季結び庵』を主宰。
ヨガによる心身の健康法に加えて、日本の風土、四季の移ろいに合わせた薬膳(食養生)のレクチャーも行い、自然と調和した、心地よい暮らし方の提案している。
2015年~アジア最大級のヨガイベント『ヨガフェスタ横浜』に、講師として毎年登壇。
さらに、ヨガを中心に心と体に向きあうための記事を執筆する編集・ライターとしても活動の場を広げ、様々な角度からヨガの魅力を伝えている。